新月の夜、また君と。

月のない夜。こんな日は決まって窓を開けておく。
ベッドに潜ってもぞもぞとしていると、ほら、来た。
部屋にぺたぺたと、小さな足音。
彼女曰く、自分は月のない夜にだけ自由に動ける妖精なのだとか。
本当は玄関から入ったのだろうに、窓を開けていないと入れなかったと控えめに拗ねるのだ。
だから月のない夜は玄関と窓の両方を開けて彼女を待っている。

初めて彼女の存在を知ったのは、家の鍵をかけ忘れて仕事に出た週の休みの日だった。と、思う。
お隣の奥さんが訪ねてきて、娘が勝手に入ったのだと謝りに来た。
鍵を閉めていなかったのは僕の責任だし、家のものは何も壊れたりしていなかったので、わざわざ謝りに来なくても良かったのに、丁寧な人だ。
その日奥さんが持ってきた菓子折りは、また鍵を掛け忘れた日にゴミと化していた。
盗まれて困るようなものも無く、面白がって鍵を閉める習慣をなくしたところ、彼女は夜にやってきた。

月のない夜だった。
物音で目が覚めた僕は、少しの肌寒い風を感じて窓を見た。
そこに彼女は膝を抱えるようにして座っていたのを覚えている。
彼女の髪はボサボサで、秋だというのに袖のない黒いワンピースを着ていて、そこから露出した肌には青黒い痣が転々と存在を主張していた。
あの日から僕らはこうして逢瀬を重ねている。

まだ小さな少女は、僕がベッドから出たのに気付くと、上目遣いに手にしたマグカップを差し出す。
それを受け取って冷蔵庫から出した牛乳を注ぎ、電子レンジで温める。
ピーという音で出してやり、砂糖はスプーン3杯。
持ち手にハンカチを巻いて熱くないようにしてから、素直に椅子に座っていた少女に菓子パンと共に渡してやると、上目遣いにお辞儀をして受け取る。
それから嬉しそうにふーふーしながら少しずつホットミルクを舐める。
それを眺めながら、今日も青い彼女の痣を眺める。
血が固まった跡もあった。
本当に優しくしていいのだろうか。余計に辛くはならないだろうか。何かできないだろうか。
そんなことを考えながら、いつも菓子パンを頬張り、ホットミルクを舐める彼女を見ている。
食事を終えた彼女の膝に、テディベアを押し付ける。
「プレゼント」
驚いた顔をした彼女にそう言うと、よくわかっていない様子ながら、また嬉しそうにそのふかふかを抱きしめた。
何かできないか。なんとかできないか。
そうしてまた夜は明けるのだ。

気付けば朝で、知らないうちにベッドの中で。
夢かと思う。
でも、台所には洗われたマグカップ。椅子に残ったふかふかなクマ。
さっさと支度をして、寂しい家から出る。
鍵もかけないまま歩き出せば、隣りの家のドアが開く。
奥さんが高校生くらいの見知らぬ少女を送り出していた。

昨夜の彼女を思う。
彼女の名前を、僕は知らない。
彼女の真実を、僕は知らない。
昨夜も彼女はホットミルクを飲んで、それからふかふかのクマを大事に抱いて、夜明けに溶けてしまったのだ。
また次の新月の夜まで、僕は悩むのだろう。
また次の新月の夜に、僕は悩むのだろう。
それでもまた、僕は彼女を待つのだ。

 

 

「ぬいぐるみ」「ホットミルク」

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