おとなのなりかた

「『大人』、っていうものはね。なりたいときにはなれないのに、なりたくないときには、もう、なっているものなのよ。」
 
おねえさんはそういった。
ボクにはむずかしくて、よくわからなくて、とてもこまってしまったけれど、ボクにわからないことをいうおねえさんは、おとなだなぁとおもった。
 
「ねえ。君の目に、私はどう映る?
   私は大人かしら。それとも、子供?」
 
おねえさんはボクにおとなのなりかたをおしえてくれていた。
“せきにん”をおったとき。
こどもをやどしたとき。
ほかのひとにおとなだとみとめられたとき。
それから、なりたくなくなったとき。
 
うさぎであるボクにはなしかけるおねえさんは、こどもっぽいとおもった。だって、おおきなにんげんは、ボクにはなしかけないから。
でも、ボクにこんなはなしをするおねえさんは、こんなにつらそうなかおをして、こんなはなしをするおねえさんは、もうおとななんだなぁとおもった。
だから。
 
「おねえさんは、こどもだとおもうよ!」

ボクははなをぴすぴすとうごかしながら、そうこたえた。
おねえさんをこどもだというとき、ちょっとどきどきした。
だって、おねえさんはおとななんだ。
ボクはウソをついた。はじめてのウソだった。
 
おねえさんはにっこりとわらって、「そう。」とだけいった。
そのひはそれでおわかれした。
ひらひらとてをうごかすおねえさんは、どんどんボクからはなれて、あっというまにちいさくなった。
このひのおねえさんは、なんだかいつもよりちいさくおもえた。
 
 
つぎのひからおねえさんはこなかった。
ただ、おねえさんといつもあうきりかぶひろばに、しろくてうすくてかさかさしたものが、かぜにとばされないように、いしをのせておいてあった。
それがなんなのか、どうしておねえさんがこなくなったのか、ボクにはわからなかった。

ボクがいしをどけると、しろいものは、ぴゅうっととんでいってしまった。
あれはちょうちょうだったのかもしれない。
どこまでも、どこまでも、とんでいった。
とてもきれいなそれは、とてもさびしいそれは、おねえさんのようにみえた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「私は大人になってしまった。
   うさぎさん、ごめんなさい。
   ありがとう。」
 
 
 
あなたに嘘を吐かせた、私は“大人”。