腕に咲く花

涙が止まらない。
腕を殴り付ける。
涙が止まる。
また、涙が出る。
また、腕を殴り付ける。
また、涙が止まる。
 
何度繰り返しただろう。浴室でひとり。
暖かな日差しも優しい月の光も届かない。
何もない、誰も居ない。
嗚咽を漏らして吸い込んだ白い湯気にむせる。
ああ、君がいたのか。
空を漂う白は消えていく。
またひとり。
ため息も出ない。
それでも涙は枯れないもので。
いっそこの水が何かを癒せればいいのに。
膝を抱えて震える。湯船にまた落ちていく。
自分の為に流れていく雫が、何だかとても醜く、とても汚らわしい。
 
腕を殴り付ける。
泣き止むまで繰り返し、繰り返す。
歯を食いしばり、嗚咽も叫びも噛み殺す。殺す。
助けて欲しかった。大丈夫だと、抱きしめて欲しかった。
知って欲しい。知らないで欲しい。
叶わない。叶わない。叶わない、何も。
それを選んだ。ひとりを選んだ。
誰にも迷惑はかけない。大切な人達に迷惑をかけない。
 
わたしはひとり。
踊る痣と共に。腕に咲いた花を友に。
 
次第に涙は出なくなって、泣きたくて泣きたくて種を撒くけれど、花は咲けども水は枯れた。
それを望んだのは。
願いは叶ったというのに、どうしてこんなにも虚しいのか。
こんなにも虚しいのに、どうしてだろう。
可笑しくて可笑しくて仕方がないの。

あたたかな匣

バスタブにお湯を張りながら、そのゆらゆらと揺れる水面を眺めていた。
湯気の立つ水に手のひらを浸せば、なるほど、温かい。
それからずっと、お湯が溢れるまでそうしていた。

ザアア……。
流石にまずいと湯を止める。
そのまま、服のまま。バスタブを跨いで、中へ。
ザアアア……!
先ほどよりも多く、長く、湯が流れていく。
ヒヨコでも浮かせておけばよかった。
1度張り付いた服が、今度は湯の中でひらひらと泳ぎ出す。
顔を湯に沈め、また出す。髪の毛が張り付く。ただそれだけの事がなんだか面白い。
張り付いた髪を後ろに撫でて流し、うんと伸びをする。
湯から出た肌が少し冷える。濡れた服が張り付く。
ああ、君を感じる。
でも触れてはいけないんだ。魔法が解けてしまうから。
バスタブから出て、服を脱ぐ。脱ぎにくい。
脱ぐ。脱ぐ。
それから脱いだ服を絞って、外の籠に放る。
生まれたままの姿というやつだ。
鏡の前でポーズをとってみた。なんだか間抜けだ。
髪を洗い、コンディショナーを塗り込む。手早く流してしまって、体も洗う。君を意識する。強く意識する。
君に触れられていると思えば、この体に触れる気味の悪い僕の手のことも考えずに済む。
湯を浴びる。
息が出来なくなればいい。溺れてしまいたい。
それでも。湯を止める。
壁を伝う泡を残したまま、それらを横目に風呂場から出る。
 
ふわふわとしたバスタオルで髪の水気を吸い取り、体の水分も吸わせていく。
タオルを肩に掛けて、もう1度お風呂場に戻る。
シャワーを掴み、捻る。泡を退治する。
君はもう居ない。ここには居ない。
お湯を止めてシャワーを転がす。
 
さあ、君の声を聴きに行こうか。

街灯、エプロン、煎餅

街灯のない暗い道をスマートフォンの明かりを頼りに歩く。
仕事帰りにこの道を通るのももう慣れた。近道なのだ。
 
長く思えた道を歩き切り、冷えた手で鍵を探していると、ガチャリと音がしてドアが開く。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
広げられた腕に応えてやると、嬉しそうにはにかむ。
体を離すと薄桃色のエプロンをしている。
そういえば中からいい匂いがする。
家に入ってスンスンと匂いを嗅げば、お風呂も沸いてるよと柔らかな声。
こんな日も良いものだ。だが違う方の腹が空いた。
 
女の手を引いて薄っぺらな布団へ。
優しく倒して何度かキスしてやれば、瞳をとろりと潤ませる可愛い女。
先ほどまでエプロンを付けて俺の為に料理を作っていた楚々とした女性が女になる瞬間に、堪らなくそそられた。
布団の上でもつれ合い、高め合う。聞こえるのは荒い呼吸と高く切ない叫び声。それから打ち付けるような湿った音。
仕事のストレスをぶつける様に嬲れば、うっとりと焦点が合わなくなる。
 
意識無く、ただ反射の様に声を漏らすようになった女から離れて台所に行くと、鍋には少し冷めてしまった肉豆腐があった。
適当な皿に盛って食べながらぼんやりと考えるのは、この女は誰だろうということだった。

 

https://3dai-yokai.tumblr.com/first

瓶、ペン、音

星の詰まったキーホルダーを手に、君はうっとりと微笑む。
それを横目に、僕は今手紙を書いている。
夜色の液体にペン先を慎重に付け、想いを綴る。
気持ちが文字から漏れていってしまわないよう、慎重に、慎重に。
誰も口を開かない空間で、シャッシャッという音だけが響く。
「書けたよ」
これは彼女に依頼された恋文。彼女から託された、彼女の想い人への気持ちが篭っている。
「本当?」
手紙をチラリと見た後、僕の目をじっと見詰めた。
それからブーツ特有の威嚇音を鳴らしながら近寄り、僕の手から手紙を勢い良く引き抜くと、そのまま後ろへ投げ捨てた。
「ちょっと……!」
同時に。
君が僕の唇を覆う。
それから暫く、僕はその温度と感触以外を知覚できなくなった。
なんてことだ。僕が綴った想いとは。
僕の胸に刺さったのは、恋の矢よりも鋭い、愛を綴った僕のペン。

冬の終わりに君は哭く(仮)2

冬を殺すのは案外簡単だった。
 
 
 
雪の降る早朝。まだ明るくなりきらないその時間に、彼女を海に連れ出す。まとわりつく冬も楽しそうだ。今だけは許してあげる。
冷えた彼女の手を引けば、とても楽しそうに着いて来て、2人で服が汚れるのも構わず寄り添って砂浜に座った。
静かな朝だった。空気は痛いほど冷えていて、頭のもやも消えていく。
 
そうだ、クッキーを焼いたの。
そう言ってポケットから、ハンカチに包んだ少し割れてしまったクッキーを取り出せば、彼女は嬉しそうに口へ運ぶ。
人を疑うことのない、純粋で可愛くて綺麗なあなた。
ごめんね。これは仕方の無いことなの。
あなたを守るためには、こうするしかなかったの。
暫くすると私の太ももを枕にして、すっかり眠ってしまった。
穏やかな気持ちで頭を撫でてやると、頬を寄せてむにゃむにゃと笑う。
絶対に守ってみせるから。
 
起こさないようにそっと、太ももに感じる冷たい重みを下ろす。私が離れると、冬はまた愛おしげに彼女の頭を撫でる。
それを尻目に予め用意しておいた斧を取りに行き、ゆっくりと持ち上げ、彼女の首に勢いよく落とす。
止めようとしても無駄よ。だってあなたは生き物には触れられやしない。
彼女の首はとても細くて、 簡単に砕けた。
冬は明るくなり始めた空に高く高く哭いて、それから彼女と同じように砕けた。
 
 
 
冬は死んだ。
私は彼女との幸せな時間を守ったのだ。
彼女と共に生きるのは、私だけでいい。

赤く染まる

※気分を害する可能性があります。

 

 

 

 

鈍く光を反射する赤銅色の河の真ん中で、わたしはずっと立っている。ずっとがどれくらいずっとかは、とっくのとうに忘れてしまった。
赤い水は膝より少し低い所まであり、お誕生日の真っ白なワンピースが赤く染まらないようにと、わたしは裾を太もも半ばまでたくし上げる。
いつからそうしているのかわからない。ずっとは本当にずっとだったろうか。
昨日からかもしれないし、1週間前かもしれない。もしかしたらひと月以上前かも。
でも少し前までは川の前にいたような気もするのだ。
それなのに、気付けば河の中心に立っていて、それも河の水はくるぶし程だったはず。
前を向けば河を渡る人の様なものの群れ。
それらがざぶざぶと河を横切る。
それに触れると心が冷えるので、わたしは時折伸ばされる手を全て見なかったことにする。
前に寂しげに揺れる手を取った時、悲しい記憶に襲われ、暫くの間涙が止まらなかったのだ。
そしてその涙で河は更に赤みを増していった。
ふと喉が渇いているような気がして、両手でおわんを作り、赤をすくい上げて飲んでみた。
熱いような、冷たいような、辛いような、苦いような。それでいて何だかクセになる。
もう一度、もう一度と口に運ぶ度に、少しずつ瞼が重くなる。
ふと下に視線を落とすと、真っ白なワンピースの腰まで赤に浸かっていた。そこから上に上にと赤が這い上がる。
ああ、わたしの白は汚れてしまった。
いいえ。わたしは真っ赤なワンピースが欲しかったのよ。
そこでわたしは、わたしの愛していた世界は。
 
それは、とても静かな朝でした。
真っ暗な世界で、母となった人の体温と震える空気を、薄く開いたままの唇に押し付けられる柔らかな乳房を感じながら。
わたしは確かに産まれ、それでもこの世で生きることは出来なかった。

片思い、猫、燃え滓

しなやかなる獣を想う
辛いときも、楽しい時も
私は貴方を想う
貴方に強く抱き締められると
背筋が伸びて気持ちが良い
そしてそっと頬を寄せる
とても温かく、満たされる
貴方が去る日を思うと
心が寒く、燃え尽きたようになるのだ
それでも私は貴方を想う
どれだけ振り回されようとも
 
 
https://3dai-yokai.tumblr.com/first